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愛知県は、今や貴重な食材となってしまった金時ショウガによる「はじかみ」の残された産地である。焼き魚のツマ物野菜として使われるはじかみは、人工着色された安い中国産の加工品に押され、この十数年で国内生産が激減してしまった。現在の市場価格では生産コストをまかなえないからだ。そんなはじかみを残していくため、(有)木村農園の木村憲政は、さらなる品質の改良とマーケティングに取り組む。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
山形県庄内地方は、稲作地域にあって水田はわずかしかない。他人から見ればハンデと思われる経営条件にいればこそ、畑作農家として成長した叶野幸衛。その農業経営者としての生き様は、誰に頼まれるからでもなく、自らやりたい道を疑問なく突き進み成功する経営者の典型的な姿ともいえる。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
愛媛県の柑橘農家に生まれた井尻弘は、農業改良普及員を務めるうち、農家に本当に必要な指導とは「作ることよりも売ること」だと気付く。公務員の職を捨ててまで井尻が身を転じた先は、野菜の流通販売の世界。思いを共有できる千葉県の農家と生産者連合「デコポン」を設立し、海外への宅配も含め、年商10億円に迫る事業を育てるまでになったが、それを支えたのは、夢を追い続ける井尻と農家との強い絆だった。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
「新規就農」から10年目の遠藤健二は、最高品質のイチゴを栽培する生産技術者である。しかし、遠藤は「生産者」と呼ばれることを嫌う。彼はイチゴではなく遠藤オリジナルの「商品」を作っているからだ。加工品ではなく、イチゴそのものでいかに「商品」を企画するか。そこに遠藤の農業経営者としてのセンスが示されている。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
農家一戸あたりの販売額が日本で最も大きい地域といわれる愛知県渥美半島で、
敢えて省力化の進んだ葉菜類を選ばず、生食用ダイコンの生産に力を入れる西山直司。>
高校時代から実学としての農業に触れ、大学卒業後に父から経営を継承すると、
工夫に満ちた工程管理や商品開発によって、季節性のあるダイコン経営を安定化させていった。| 新・農業経営者ルポ | ||
静岡県の富士宮市で(有)いちごやさんを経営する佐野光司。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
農業大学校時代、染野実は劣等性だった。しかし、学生時代に優等生だった学生が必ずしも優れた経営者になるとは限らない。劣等性だった染野は関東の土地利用型農業をリードする経営者の一人に成長してきている。そこには父・要の存在があった。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
たった一人の発見が、世の中に大きなインパクトを与えることがある。新たな発見が誕生する瞬間、人間の信念は拡大する。既存の価値観を突破しなければ、新たな価値観は創造されないからだ。杉山修一という、たった一人の農業経営者が創り出した農場が今、多くの人々を魅了し、自然や農業に対する価値観に影響を与え始めている。信念が拡大するきっかけは、人との出会いや別れ、病気や交通事故など、人それぞれだが、杉山の場合は、見慣れたある風景だった。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
北海道富良野市に次いでフラワーツーリズムの地として広く知られている美瑛町。
その美瑛町で、7年前に「展望花畑 四季彩の丘」を開設したのは、美瑛町農協の理事でもある熊谷留夫。十勝岳連峰を正面に臨む雄大な景観の豊かさに気付かされた彼は、丘陵に花を植え、都市からの観光客を呼び込むことを思い立つ。しかし、当初は周囲を説得してもその価値を理解してもらえなかった。ならば、と立ち上がった熊谷の心中には、美瑛の農業と農産物の素晴らしさを伝えようする、開拓者精神が宿っていた。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
文旦、小夏、河内晩柑などの生産・直販をしている(有)大串農園。今期は、収量約550t、売上約2億5000万円を見込んでいる。昨年までは11期連続の赤字で、廃業をも迫られる状況にあったが、同社の社員らが自ら業務改善を進め、起死回生を果たした。1996年の法人化以来の累積赤字も今期で一掃できそうだ。ここに至るまでに、大串謙二と妻・生美、そして大串農園が歩んできた道のりには、経営者のあるべき姿を問う幾重もの山坂があった。
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昨年秋、食肉加工業者による比内地鶏の偽装事件が告発され、メディア各紙を巻き込んだ騒動に発展したことは記憶に新しい。秋田県は急遽、ブランド認証制度の準備を進めたが、それがさらなる混乱を招くことになった。育種改良の努力で市場の7割の顧客を獲得し、安全責任への自覚から、時代に相応しい管理方法を選んだ生産者が、認証制度の名のもとに市場から排除されようとしている。
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大学で農業経済を学び、社会福祉団体職員を経て、父から経営移譲を受けた小川博巳。胸中には思索を積み重ねた末に導き出した一つの課題—農業のノーマライゼーション—があった。その理想が結実した岡山県内の農園には、花や野菜の直売所、イチゴの摘み取り園など、多彩な施設が備えられている。来園者が思い思いの時間を過ごす園内には、エンターテイメントに昇化した、新たな農業の姿があった。
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本格的に農業経営を事業化しようと意気込んでいた矢先、
農機に巻き込まれて片腕を失う事故に見舞われた若き経営者。
運命を呪い、一時は農業をやめることさえ考えたが、
そんな彼を支え、経営者としての歩みを決意させたのは、
ボランティア活動で知り合った若者や家族たちの協力だった。
腕を失ったことによって絆が深まり、力強い発展を始めた農場。
その軌跡は、人生には無駄なことなどないことを教えてくれる。
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役場勤めという安定職を捨ててまで過疎が進む中山間地での農業に可能性を見出し、家業である水田経営を継いだ元税務課職員。獣害の多発地で15haの水田作業をほぼ一人でこなし、大幅なコストダウンを実践する効率的な経営手法は山仕事で学んだ無駄のない作業習慣から生まれた。地域の担い手として活躍するそんな彼が稲作と林業を通して見つめる地域の未来とは——。
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「アイアグリ」は、茨城県を拠点とする農業資材の販売会社だ。2000年、玉造和男社長の肝煎りによって、研究農場「ユニオンファーム」が設立される。取締役室長として抜擢されたのが、アイアグリの主任研究員として働いていた杜建明だった。和男が力強い牽引力を見せる太陽だとするなら、建明はそれを陰から支える月だった。国籍は違えど、農業に対する2人のベクトルは、くしくも一致していた。そこに誕生したスペシャリスト集団は、まさに「梁山泊」と呼ぶにふさわしい。
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1930年、茨城県生まれ。1947年、茨城県牛久市の高松家への婿入りをきっかけに、本格的に農業を始める。以後、茨城県を代表する農業経営者として多くの人々に影響を与えた。98年には、「『土の力』を引き出す米づくり、『豚の心』を読んだ飼養技術、『地域の教育』を重視した近隣の子供たちへの竹林の開放などユニークな活動を展開」などを理由に、山崎記念農業賞を受賞。引退した現在も、若い経営者たちや業界人、研究者にヒントを与えリードする指導者になっている。
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1950年、福島県生まれ。1976年、機械の共同利用と作業請負をする任意団体を設立。1984年に(有)農作業互助会を法人化する。1988年に債務清算のため、資産が競売に掛けられそうになるが、農協を訴え、裁判所の和解勧告を得て危機を脱する。以後、コメの生産、集荷、小売事業で経営を再建。現在、低タンパク機能性米の商品開発を軸に、コメの付加価値化販売を図っている。コメの生産面積は自作地・借地含め約13ha。このほか約30haの作業請負を行なう。
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20年間のブラジル暮らしの後、帰国。趣味で始めた家庭菜園のブラジル野菜が職場の日系ブラジル人に好評を博す。あくまで友人へのおすそ分けとして始めたもの。しかし、林の野菜を求める日系ブラジル人があまりにも多く、断るつもりで野菜に値段をつけた。すると、逆に来訪者が一気に増え、専業のブラジル野菜生産者となる。現在、全国の約450店舗に出荷し、売り上げは月1000万円。
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読者にもご覧になられた方が多いと思うが、10月20日にNHKで「日本の、これから~どうする?私たちの主食~」という生放送の討論番組があった。そこで確信犯的に悪役を演じる北海道の生産者がいたのをご記憶ではないだろうか。討論番組に出演している生産者のなかでは数えるほどしかいないコメ自由化容認派で、大胆な発言を繰り返していた男。それが今回の主人公である宮井能雅である。
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かつて家子憲昭が食管法の中に生きる農民の怒りから始めた| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
規模の大小ではない。髙橋巖が代表を務める1ホーブは、これからの日本農業、あるいは農業経営の目指すべきひとつの形を示している。
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「介護疲れで死ぬことすら考えていた私にとって、ここに毎日通うことが文字通り救いであり、人生を取り戻すきっかけでした」
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血気盛んで豪快な経営者を勝手に想像していた。なにしろ、借地、作業受託面積(延べ)をあわせると約130ha。直播栽培の面積だけで16haだ。一法人で行なう直播面積では日本最大級だろう。こんなダイナミックな経営体を、リーダーとして長年引っ張ってきた人物だ。
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京都府・三重県・奈良県の県境にある京都府南山城村。この、バス会社すら撤退してしまった山奥の山村に、全国で2つとない飼料ビジネスを展開する夫婦がいた。売るものは「動物園の飼料」。無農薬で育てた牧草を刈りとりユーカリ、樫、竹などとともに届けるというのだが……「誰にでもできそう」などと思ったら大間違い。そこには食うや食わずの苦闘から生まれた経営哲学と工夫があった-。
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もともと国産だった野菜の多くが、後から入ってきた中国産などの輸入品に押されている中、逆に輸入品が切り拓いた市場を国産が追いかける現象が起きている。
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高橋尚子が走ったという佐倉の農道では、菜の花が春の訪れを告げていた。一面に広がる田畑の背後には、めっきりと緑を深めた丘陵が肩を並べる。稜線の切れ間から降り注ぐ暖かく優しい陽光が、目に眩しい。
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中学生の頃、農業で何人もの社員を雇う経営者になると志を立てた茨城県の農家の長男を、まともに相手にする者はいなかった。経営のイメージはあっても、知識もお金も人脈も不足していた若者は、やがて、ホオズキ、さらにデンマークカクタスと出合い、日本でもトップクラスの生産者へと成長する。三和園芸・鈴木隆社長が手探りでつかみ取った成功は、家族経営の農家が経営者に昇華するには、未知なる道を切り開く、起業家魂が不可欠であることを示唆している。
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会津盆地は一面雪に覆われていた。待ち合わせ場所のJR只見線・新鶴駅前で待つこと10分。なぜか湘南ナンバーの車に乗って颯爽と現れた(有)グリーンサービス代表の新國文英さんに、ナンバーのことを尋ねてみると、「うん。私、湘南ボーイだからね」と、いたずらっぽい笑顔が返ってきた。新國さんは、むろん生粋の会津人である。
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庄内米で知られる庄内平野、出羽三山をのぞむ鶴岡の民田地区でコメの直販から、地元の名産・民田ナスの生産と加工、販売。だだちゃ豆の生産などを手掛ける鶴岡協同ファームの五十嵐一雄氏。農業にまったく興味のなかった五十嵐氏が、米国での農業体験を経て、農業の可能性に気付き、自分の夢を形にしていくプロセスはドラマチックですらある。その五十嵐氏を支える明子夫人のマルチな活躍ぶりにも圧倒される。既成にとらわれない自由な発想も、オレゴンの大地から学んだものなのかもしれない。(以下つづく) | 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
数年前から建設業による農業参入が盛んだ。公共事業が減少するなか、従業員の仕事先を確保したいと参入した企業も少なくないが、成功事例は多くなく、参入には賛否両論がある。今回登場する菅原維範氏は農業から土木に転身し、再び農業に参入した人物。土木と農業の魅力を的確に捉え、相乗効果も上げている。一度外に出たからこそできる農業経営がある。
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できたものを売るのではなく、必要とされるものを必要なだけ作る——この産業として当たり前の発想が、ようやく農業の世界に浸透しつつある。契約栽培の概念も、実力ある農家には広く受け入れられている。今後生き残っていくであろう生産者は、ビジネスマインドを備えた経営者。就農してすぐ牛500頭を目標に掲げ、借地と預託肥育でこれを実現した関治男さんに、そのビジネスマインドの源泉を探る。
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モモの直販、新規就農者の支援、大手量販店との契約、社債の発行など、次々と斬新な活動を手がけるピーチ専科ヤマシタの山下一公氏。そのベースは、就農当初から一貫している。それは、農業で食べていくと決めた以上は農業に徹するという強烈なプロ意識、そして農協に依存することなく、顧客のニーズを意識して作物を生産するというマーケットに対する戦略である。この志は同じく自立的な農業を目指して昭和を生き抜いてきた父の血なのかもしれない。昭和から平成へと父と子が受け継いできた自立的な農業の一つのあり方を見つめてみたい。
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佐賀県の東端に位置する鳥栖市。九州を南北に結ぶJR鹿児島本線と、東西に結ぶ長崎本線はJR鳥栖駅で交わる。九州縦貫・横断両自動車道が交わるのも巨大な鳥栖ジャンクション。福岡から長崎、熊本、鹿児島方面に向かうためには必ず通過する物流の要衝だ。周辺には地の利を活かした工業団地も多い。
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「日本の農業の世界には不思議なことがたくさんあるんですが、そのひとつが農産物に生産メーカーがいないことなんです」アースワークの代表取締役を務める松浦助一は、大きな目をぎょろりとさせて言った。
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農家は減る一途、そういう中で、地域の農業を維持・発展させる動きがビジネス側から出てきた。商が農を“垂直統合”する形で農業進出を果たしている。借地による規模拡大も容易になった。新しいビジネスモデルが農業の近代化を推進し始めた。商系も農家も2代目社長が新しい農業の創造に動いている。発想を変えれば、農家数の減少は新しいビジネスチャンスだ。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
猪瀬良一は、自閉症児の親となったことを契機に、農業を通した障害者の自立と都市近郊に広がる農地の保存と活用を目指す、見沼田んぼ福祉農園を設立した。そこは単なる障害者福祉の場ではない。子供から高齢者までが、農に触れ、互いの関係性の中で現代社会に失われた人の繋がりを取戻し、未来を生み出す学びの場にもなっている。そこには、過剰の時代であればこその、農業の事業的可能性を予感させる何かがある。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
魚沼コシヒカリ発祥の地でコメを作り続けて30年。その島田徳重さんは品目横断的経営安定対策に伴う集落組織化の動きと、自らの経営をどうバランスをとるか葛藤している。だが、「島田さんのコメが食べたい」と言う顧客の声が島田さんの背中を押そうとしてくれている。政策がどうあれ今までどおりのスタンスで集落と向き合い、自分なりの経営を続けようとしている。(以下つづく) | 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
40haの経営耕地でケール、加工用ジャガイモ、サツマイモ、デントコーンなどを年間約70haに作付けする。生産はすべて企業との契約栽培。年商約1億5000万円。無借金でダイナミックな投資と新たな経営創造に取り組む坂上隆さん。将来は、1000haの経営を目指すと語る坂上さんを、農業取材初体験の筆者が訪ねてみた。
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「農家っていうより、実業家とか経営者とか言われるんですよね。あとは運動家とか(笑)。僕のやっていることは、理解しにくい人にはわかりにくいかもしれません」と小倉さんは苦笑する。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
その語調は、あけすけなぐらいに明るく、言葉が渦を巻くようにあふれ出す。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
1997年のリンゴ価格の大暴落をきっかけに、リンゴの海外輸出をめざした片山寿伸氏。氏は日本と外国では好まれるリンゴのタイプが違うという文化的背景を追い風に、イギリスと中国へのリンゴ輸出を可能にした。この輸出事業を通じて日本で初めてユーレップギャップを取得した氏は、日本の農家を守るために日本版GAPを早期に設立することの必要性を説く。「いずれGAPを取得した中国野菜が日本に流れ込んできたら、私は中国でリンゴつくるしかなくなりますよ」と笑いながら語る片山氏の言葉には冗談とは思えないリアリティがある。(以下つづく) | 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
鹿児島県の沖永良部島は「新ジャガ」、早出しメークインのブランド産地として有名だ。しかし、今、ジャガイモ生産者たちの意欲は必ずしも高いとは言えない。農産物のブランドとは何か。かつて沖永良部の新ジャガは市場で話題になり、品薄でブローカーたちが買いに走った。そしてそれによる高値は生産者を喜ばせた。しかし、やがて一時の高値に浮かれた産地はその価格にあぐらをかくようになる。その現状を上村英樹は、選ばれるに足る産地であり続けるための誇りや自負を忘れていると見る。沖永良部で新しい産地ブランド作りに取り組む上村の思いを伝えたい。(昆吉則)(以下つづく) | 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
専業農家の主婦・新開玉子さんは、1999年、補助金を一切受けずに女性だけで直売所を開設。年商2億円の店に育てた。コンセプトは“産地から心をこめて“。「今までの農家は、下を向き腰を痛めて土を耕してきたけれど、都会のひとの心は耕してこなかった」という新開さんの言葉には、彼女が長年抱き続けてきた農業への思いが込められている。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
「小規模・効率性・悠々自適」――。こんなポリシーを掲げる経営者が、宮崎県綾町にいる。脱サラして観光果樹園を開業。かつて国際ビジネスで鍛え上げた理論とマーケティング感覚、情報化を駆使し、安定的かつ「最適」の経営を実現した。他産業からの参入者だからこそ、従来の農業のあり方には厳しい目を向け、その矛盾点に警鐘を鳴らす。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
「このルポに登場する経営者は“特殊”か“特別”な人たちだよ。俺はね、普通の農家なんだ。有機・無農薬栽培も、際限のない利益追求もしない。人間だから欲はあるけど、ほどほど主義でいいんだ」| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
霜多増雄は国内有数のハーブ生産者。約40年前に初めて欧州に渡り、食の洋風化を必然と見て、需要を掘り起こした。料理界には幅広い人脈をもち、地域の枠をも軽々と越える。経営の根本に置くのは、消費者への思いと農業を自然界とのかかわりでとらえる科学の視点だ。| 農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
平取町は北海道日高山脈の西側、沙流川流域の肥沃な地帯にある。比較的温暖で降雪は少なく、アイヌ文化が栄えて、明治以降は米どころとなった土地だ。糸屋新一郎はここで稲(栽培面積4.6ha)とトマト(ハウス28棟)を育てる。昨年までは同町米麦改良協会会長、今年からは野菜生産振興会トマト・胡瓜部会長だ。42歳ながら地域のリーダーだ。(以下つづく)