執筆者一覧

農業ビジネス
農業経営者twitter
デジタル見本誌

アーカイブ
2019
12 11 09 08 06 04 03 02
2018
12 10 08 07 04
2017
12 10 08 06 05 03 02 01
2016
12 11 10 07 06 04 03 02
2015
12 11 10 09 08 07 06 04 03 02
2014
12 11 10 09 07 06 05 03 02 01
2013
12 11 10 09 08 07 06 04 02
2012
12 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2011
12 09 08 07 06 05 04 03 02
2010
12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2009
12 11 10 09 07 06 05 04 03 02 01
2008
12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2007
12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 01
2006
12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2005
12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2004
12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2003
12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2002
12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2001
12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
2000
12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01
1999
12 11 10 09 08 07 06 05 04 02 01
1998
12 11 10 09 08 07 06 04 02
1997
12 10 08 06 04 02
1996
12 10 08 06 04 02
1995
12 10 08 06 04 03
1994
12 09 06 03 01
1993
10 07 05
文字のサイズ
中
大

HOME > 編集長コラム  >「社長、交代の時期で...

編集長コラム

「社長、交代の時期です!」 | 農業経営者 2月号 |  (1998/02/01)

【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
本誌の25号(平成8年10月発行)で、この雑誌の一つの役割は、もう終えてしまったのではないかと感じている。それを目指していたはずなのに正直言って少し気が抜けてしまった。

その一つの役割とは、我が農業界のなかで「農業経営者」という農業の経営主体の存在とその役割を明らかにしていくことであり、その誇りを擁護することにあるからだ。

未だ、行われるべき農業の構造政策はその具体策として示されてはいない。むしろうしろを向いた行政施策がとられたりもしている。しかし、昨年秋に米価が大幅に値下がりしたことが契機とした混乱の中で、歴史的存在としての「農業経営者」という階層が、我が国の農業の中で、その役割を果す時代がきていることに人々も気付き始めている。
我が国の農業は、農地解放を契機に戦前の地主階層に代わり、農林省(当時)という社会主義者のオーナーの元に経営管理が行われるようになった。常にオーナーの顔をうかがい続ける地方行政組織と農協組織を現場のマネージャーとする形で、我が国の戦後農業は経営されてきたのである。その中で、当の農家は高米価や様々な補助金という死に至る安楽椅子を与えられる反面で、経営者として自立していくチャンスを奪われてきた。

日本という高度に成長した資本主義国のなかにある社会主義農業体制は、実態的には早くから沢山の綻びを見せていた。それでも、右肩上がり成長を続けた産業界にお荷物と思われながらも、そこに落とされる税金の山を産業界に還流させ続けることでその体制が守られてきた。

しかし、農地解放から約半世紀を経て、昨年の米価の暴落によってそのベルリンの壁は誰の目にも明らかに崩れてしまったのだ。

この間の我が国における農業の位置は、戦後世界の東西両極の関係にそのまま模して語ることができた。冷戦の時代でも、東西両陣営(産業界と農業界)は結果として持ちつ持たれつの関係を保ってきた。食糧管理法下の特別栽培米制度はまさに我が国の農業界でのペレストロイカに伴う一部自由化だった。

農業という社会主義圏のなかでも、米と酪農以外の分野では早くから市場経済の中に入り自由化を進めてきた。そのためにその分野の農業者たちの中には自由主義経済社会の住人として一人歩きをする人々も多かった。しかし、聖域であった稲作と米分野においては、かつてのソビエトおよび東欧諸国の基幹産業の様に、官僚支配体制の非効率な経営管理システムが最後まで続いてきた。

そして、昨年秋の米価格の暴落。それも食糧庁がみずから米価水準を市場原理に乗せて自らの価格支持機能を放棄した。農業界の聖域であり、最後の砦でもあった「米」についても農水省の直轄管理から自由にしていくことを、農水省という農業のオーナー自らが追認したのだ。

それはベルリンの壁を叩き壊し始めた東ベルリン市民の振舞いを押し止めることができず、ただ混乱の中でトンチンカンな交通整理をすることしかできない国境警備隊と東ベルリン政府の姿に似ていた。

東欧諸国の共産党官僚たちがそうであったように、全てを解っている農水省のリーダーたちも、一方では己れの省益にこだわりながらも、歴史の発展方向のあるべき姿を認識しているのだ。そして、体制の移行をいかに混乱無く進めるかということに心を砕いているのであろう。いわば、一時代の役割を果してきた社長が、出資者や取引先、そして分からず屋の中間管理者兼労働組合の頼みに板挟みになりながら、現実的な対応策を示し得ないまま会長か相談役の立場に身を引くときのような思いなのではないだろうか。

すでに、日本が戦後の開発途上国としてあった時代に果した農水省という経営者の役割は終りを告げたのである。

言葉が足りないと誤解されやすい内容であるが、農地解放とは「地主」という農業・農村を管理する「経営者の追放」だった。

そして、今、かつての地主たちが果していた「土を預かるもの」としての自負を含めて、新時代の農業経営者たちに農業の前面に立ってそれをリードしていく役割が託されようとしてきているのである。

すでに彼らは、単なる農業就業者ではなく、小作者の立場にいながらも明確に経営主体としての自覚を持ち、合理的な思考力による経営手腕を発揮しつつある。しかもかつての地主たちが背負ってきた土を預かるものとしてのとしての自負を受け継ぎながら。

この経営者交代は、巨大企業が小さな単位に分社化され、様々にアイデアを持ち行動力もあるが、若く経験のない経営者たちにそれぞれの経営をまかせていくようなものなのだ。また、その経営環境も決して楽なものではない。それでも、この抜擢に自らの夢をかけ、喜んでその困難を引き受ける農業経営者が沢山いることを僕は知っている。
Posted by 編集部 08:30

このエントリーのトラックバックURL:

コメントする