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分からないのか、分かろうとしなかったのか | 農業経営者 6月号 |  (2009/06/01)

【(有)アグセス 代表取締役 岡本信一】
視点 私は長年農業現場でコンサルタントをしてきたが、その依頼のほとんどは「まともに作れないから助けてくれ!」という内容である。生産がまともにできなければ経営は成り立たない。私は依頼に対して、これまでの経験を生かし解決を図ってきた。しかし、生産に関連する様々な数値の指標が有効に活用できたことがほとんどなく、ジレンマを感じてきた。

経営に意味ある指標なのか?



たとえば、土壌pHという土壌化学性の代表的指標について。作物にはそれぞれ最適な土壌pHがある。しかし、pH改善を行ない、その指標内に収まったからといって、収量や品質が必ず上がるわけではないし、どの程度良くなるのかも分からない。土壌化学性のあらゆる指標も同様である。指標こそ存在するものの、収量や品質が良くなるのか、悪くなるのか、分からないのである。

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Posted by 編集部 | 11:30 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
提言 | 視点

農業から農産業へ | 農業経営者 5月号 |  (2009/05/01)

【(株)農業総合研究所 代表取締役 及川智正】
視点 当社は和歌山を中心とした農産物生産者の営業を代行し、近畿圏や都内のスーパーマーケットにインショップ型直販所「めっけもん広場」を展開している。起業してから1年半、契約生産者は、当初数名から現在500名に及ぶ。

系統出荷が多くを占める当地において、取引生産者が急増した理由は口コミによるところが大きい。「あの東京から来た兄ちゃん、高い値で売ってくれるらしいで」と言う噂が広まりつつあるのだ。

“儲かる農業”の実現が当社の掲げる目標のひとつである。その仕組みを生産者に提供することが当社の役割であり、標榜することで生産者からそのような声を耳にするのは率直にうれしい。

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Posted by 編集部 | 11:30 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
提言 | 視点

鹿児島県発世界行の技術 | 農業経営者 4月号 |  (2009/04/01)

【(株)藤田ワークス 代表取締役 藤田康路】
視点 当社は、高精度精密板金の加工・製造—具体的にはチタン、ニッケル、ステンレス、アルミニウムなどを半導体や液晶装置向けに加工する—を主たる業務とする中小企業である。鹿児島県という地方都市にありながらも、国内のみならず、世界に冠たる大企業と取引をさせていただいている。

当社のスタートは、宮崎の町の中の、ごく小さな鉄工所だ。もともと家業を継ぐつもりはなく、上京してプレス工として会社に勤務していたが、仕事が忙しく呼び戻されたのがきっかけで仕事を手伝うようになった。

技術力はあった父親だが、借金返済に追われるなど経営はまるっきりダメ。やり方がまずいと痛感した私は、父親に「オレに経営を任せてほしい」と頼み込んだ。ちょうど20歳の時だった。この頃、役所勤務の友人に汗水働いている自分の姿を馬鹿にされた悔しい経験をした。「くそっ、世界一になって絶対に見返してやる」という気持ちが仕事に邁進する原動力にもなっていった。

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Posted by 編集部 | 11:30 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)