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編集長コラム

さらにもう一度『問うべきは我より他になし』 | 農業経営者 8月号 |  (2000/08/01)

【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
前号の本欄で取り上げた北海道国際航空(AIR DO)の社長(前号では副社長と誤記した)濱田輝男氏が、7月14日未明出張先の東京で心臓疾患のために急逝した。

ほんの数日前の10日に念願だった二機体制での運行を開始した矢先のことだった。ご家族はもとより、志と困難を共有して苦闘の道を歩んできた同社の役員や従業員の方々に、心からのお悔やみを申し上げたい。さらに、出資者ばかりではなくその事業に思いを寄せた人々の落胆も大きいと思うが、AIR DOには今こそ応援団の力が必要な時なのではないか。
「鶏が空を飛べるか」(濱田氏の本業は養鶏を中心とする畜産農家である)とも揶揄されながらも、北海道民の出資を基にした定期航空運送事業会社の創業。大手航空会社との競争の中で創業の苦しみを続けてきた同社や濱田氏のことは様々に紹介されている。

通常運賃が往復でも約5万円の札幌~羽田間に、AIR DOは片道1万6千円という運賃で参入し、平成10年12月20日にその一番機を離陸させた。当初は運賃の圧倒的優位性と判官贔屓のムードにも乗って83・2%という高い搭乗率(10年度決算時)を示していた。しかし、11年6月以降、先行大手3社がAIR DO便を挟み撃ちにする時間帯で同社運賃に水準を合わせた価格攻勢をかけてきた。さらに一機での運行という制約から日帰り客の利用が限定されたこともあって、11年6月には搭乗率が44%という水準にまで低下した。そのため同社では、「会社存続のために」と多客期に多客期運賃(2万円)を導入せざるを得ない状態になっていた。それでも、11年度通期では既存社のそれは上回るものの68.7%の搭乗率にとどまった。そして本年6月末には、営業開始以来の運賃(1万6千円)を9月1日の便から1万8千円に値上げするという苦渋の決断をせざるを得なかった。有珠山の噴火による北海道への観光客の減少も打撃だった。  しかし、2機運行体制による6往復12便でのダイヤ改正は、同社の営業を大きく後押しする経営条件の整備である。故濱田氏は、きっと2号機就航第1便の機影を、AIR DO一番機を離陸させた時の思いと覚悟とをダブらせながら見送ったのではないだろうか。2号機の就航は、仲間や支持者とともに走りつづけてきた道に建てた大きな一里塚だった。その機影を見てこれからの困難に立ち向かう勇気を奮い立たせていたに違いない。まさに、志し半ばにしての無念の死だった。創業のリーダーを失った後を継ぐ人々に託された困難は大きい。  対抗会社への整備委託、ボーディングブリッジではなくバスを使う搭乗の不便、間借りする空港受付カウンターなど、AIR DOの抱えているハンデは大きい。先行各社が同社に低価格政策で対抗するのも市場の論理として当然のことである。次のアイデアを出していくことが後を継ぐ者の責務だろう。真っ向勝負と判官贔屓だけで強いものには勝てない。でも、創業の理念でもある価格優位性と顧客志向の精神を失わない限り、「AIR DO」という現代日本におけるニューフロティアスピリッツへの支持者は少なくない。僕等も今年の土を考える会に旭川便を使わず、千歳経由でレンタカーを借りて参加したが、3人で乗れば運賃でレンタカー代からオツリが出た。それ以上に「AIR DOという運動」に参加するある種の感激も味わった。  圧倒的な価格優位性が無くなれば、人々の関心が薄まるのもやむを得ない。しかし、AIR DOの設立があってこそ、道民の願いだった羽田・千歳間の大幅な航空運賃引き下げが実現されたことを人々は忘れるべきではない。それ以上に、一つの会社設立が人々にこれほどの勇気を与えたことはあっただろうか。『やればできる』と。AIR DOの取り組みをただ一つの航空会社の創業物語に終わらせてしまうのはもったいないではないか。SKYMARK AIRLINE(福岡~羽田・大阪)とともに、それは航空業界という場を借りて、一人ひとりの国民や小さな民間事業者たちが自らの誇りと責任(権利ではない)と努力によって果たし、実感していく日本改革への挑戦なのだ。

AIR DOの成功は同社の課題であるとともに、北海道民自身が試されているのであり、日本人のそして貴方や僕自身が自らに問いかけるべき問題でもあるのだ。同時に、その問いに自ら答えを出していこうという勇気の中にこそ、我々の職業である農業や関連産業人の未来、あるいは日本の未来があるとは考えられないだろうか。すでに、政治や行政を批判し要求していれば済む時代は終わったのだ。むしろ問うべきは我々一人一人の中にある利権意識や被害者意識なのである。そこからは何も生まれない。困難な現実に目を向けようとせず、自らの経営や暮らし、そして日本の産業や農業さらには日本という国が萎えていく様を安楽椅子に力無く座り込んだまま眺めているというのか。そんな親を見て子供たちは自らの誇りを養うことができるものだろうか。

本欄では創刊以来『問うべきは我々自身である』と呼びかけ、また、僕自身に言い聞かせてきた。それは本誌創刊の目的のひとつであり、同時に、僕自身が営業者として自らの誇りと未来を確実なものとする原点だと考えてきたことでもある。

AIR DOの創業を通して濱田氏が示してくれた理想に学ぼう。そして僕は、さらに今こそ『問うべきは我より他になし』と言う。バックナンバーをお持ちの方は第4号(平成6年1月31日発行)および第15号(平成8年2月29日発行)を読み返していただきたい(8月中は当社のFAX情報サービス【情報番号1040】でも引き出せる)。
Posted by 編集部 08:30

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