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編集長コラム

21世紀も「あたりまえ」でいくしかない | 農業経営者 1月号 |  (2001/01/01)

【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
明けましておめでとうございます。

そして、やはり21世紀が始まったと書くべきなのでしょう。

鉄腕アトムを見て育った世代である筆者は、「21世紀」という言葉に、SF的とでもいうべきか、「はるかなる未来」という語感を感じてしまう。そして、「21世紀」は「未来へのあこがれ」を意味する象徴的な「ことば」として使われていたようにも思える。あと10日もすればそれが始まってしまう今の今になっても。もっとも、今でも思い出せるほど懐かしい主題歌とともにアニメになってTVで放送され始めた頃になると、やがて人々が「科学技術の発展」や「進歩」という言葉自体にアレルギー反応を起こす原因になる事件が様々に発生してきてもいた。 
しかし、子供時代に当時の人々が感じていた21世紀への憧憬を思えば、今頃は、花電車が帝都を走り人々は提灯行列で新世紀の到来を祝う今日この頃であってもおかしくないはずだった。しかし、筆者が観察する限り、世の中は冷静というのが正しいのだろうが拍子抜けするような静けさだ。要は不景気、想像を絶する負債を抱えたまま更にその借金を先延ばしにした、サラ金苦に苦しむ日本という家族にとってはそれどころではないというのが実状なのだろう。そして、年の瀬に浮かれ者のTVばかりが「20世紀最後の」を連発する。そんなTVが「20世紀を代表する」といっても、それはTV登場後というよりほとんどは若い視聴者の記憶で追いつけるこの数年の話題や流行ばかりでばかばかしくなる。

もっとも、夢の未来という意味での21世紀社会を予感させるIT関連技術や生命科学など、その可能性は想像もつかないほどに大きい。しかし、人の心を理解できるロボットだった鉄腕アトムが小さな心を傷めていた、技術の進歩ではなく人間の理想や誇りの高さによってこそもたらされる人と社会の理想は未だの感がある。いかに情報関連技術が進化するといえ、肝心なのはそれで何を伝え、また伝えるべき何かを我々が持っているかということではなかろうか。

そして、20世紀を生きてきた我々は、21世紀を次の世紀に繋ぐ人々に伝えていくべきこと。我々が新しく獲得したこと以上に、我々自身が何を受け継ぎ、何を忘れていたのかをもう一度反省し再確認してみる必要があるのではないだろうか。

ところで、本号から『北海道に於ける獨逸人經營の模範農家』(76頁)という記事を掲載する。これは、今から73年前に発行された『農業世界』(博文館)の昭和三年の新年号と二月号に掲載された吉村眞雄氏(所属・肩書き不明)の記事を復刻掲載しているものである。同誌はすでに廃刊になっているが、その号が第23巻第一号とあるのをみると創刊は明治39年(1906年)ということになる。

これはスガノ農機(株)社長の菅野祥孝氏が古書店で見つけられたのをご紹介いただいたものである。国会図書館でコピーして読んだ続編を含め、その内容は今日のことであるかのように全く新鮮であり、また、そこに登場する人々の農業にかける情熱と真摯な取り組みに対して感銘を受けた。レポートの内容はドイツから招聘されたコッホ氏一家の経営とその暮らしを中心に紹介されているものだが、ぜひご一読をお勧めしたい。

吉村氏は、農業機械化や肥料を含めた新しい科学技術の導入とともに経営の科学と経営者の誇りを語る。それは現在も同じことであろう。

しかし、そこに書かれている内容と違うとすれば、現代は「飢え」の怯えから解放されていることだ。しかし、「餓え」や「欠乏」への不安から解放されるということは、ヒトという動物の種を保存するのに遺伝子に組み込まれた因子が、人間を「過剰」に向けて暴走させることだ。それは人間に「欠乏」以上の困難な問題を突きつけているのかもしれない。

この73年前の吉村レポートをあえてここに掲載するのは、21世紀という新しい時代、そして新しい技術手段に囲まれながら、実は我々が取り戻さねばならないのは、この数十年や百年といった時間の区切りではなく、いつの時代にも変わりようがない本来の「あたりまえさ」であるように思うからだ。人として、親として、働く者として、この地に生きる者として、今日を未来に繋ぐ者として。
Posted by 編集部 08:30

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