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編集長コラム

大和の人であることを知った神宮参拝の感激 | 農業経営者 1月号 |  (2002/01/01)

【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
生まれて初めて伊勢神社にお参りをした。いわゆる伊勢神宮は内宮とも言われる皇大神宮、外宮と呼ばれる豊受大神宮の二つの総称であり、さらにそれぞれにある合計125の別 宮、摂社、末社、所管社を総称するものである、とは解説書で読んだ。

ある団体が同所で開催した講演会に筆者を呼んでくださったお陰で、参加者の方々とともに12月15日の深夜、外宮で執り行われた月次祭のお祭りを拝見させて頂く幸運を得た。月次祭は6月15日と12月15日、ともに夜(午後10時)と暁(午前2時)の2回、天照大神に御食をたてまつるお祭りであり、10月に行われる神嘗祭を合わせて三節祭と言い、伊勢神宮のお祭りの根幹をなすもの。そして、ここでは1500年以上もの長きにわたって、毎日、朝夕二度、天照大神に御食を供えるお祭りが続けられているのである。
正殿で行われるお祭りを直接拝見できるわけではない。正殿を囲む三重に巡らされた板垣の外までが我々の入れる場所である。それでも、松明をかがし隊列をなす神官たちが静寂の神宮の森に響かせる規則正しい砂利を踏む音。太古の森が残る神宮の闇に、松明と星明りに照らし出される神官の隊列と参列する我々の姿。満天の星と静謐な空気、それ自身に神聖さを感じさせる杜の中で風の間をぬ って聞こえ及ぶ雅かな楽の音。僕はそこである種の感激を味わっていた。下世話なことを言えば、一ケ月近くも体調不良の原因になっていた風邪がその夜以来、ピッタリと治った。

もとよりそんな知識は無く、神道を宗教の理屈で理解すると言うのではない。その場にいることで体が感じるもの、あるいは自らの体というか精神が、人がずっと昔からそう思ってきた、様々な(八百万の)神様たちに受け入れられること(あるいは受け入れること)それ自体を好ましく思う感じとでもいうのだろうか。日本人というより、この敷島の大和の国に生まれ育ったことを嬉しく思うと言っても良い。そんな気持ちになったのである。

何故なのだろう。歳もあるのかもしれないが、韓国の人々と、よく言われる「歴史認識」の問題や「靖国」「教科書」の問題を話したせいかもしれない。その後にも、西オーストラリア州政府の人々との出会いの中で、日本人であることや日本の稲作や農業のことを考えたこともあるかもしれない。そして、得てして日本農業を「守れ」と叫び、日本と中国や韓国との関係を語る人々が、我々日本人が日本人であることのアイデンティティを語らず、あるいは日本の「何を」そして「何故」それを守らねばならないのかを曖昧にし、また僕自身もそれに明確な答えを持っていなかったことへの反作用かもしれない。

韓国の人々と話して判った。韓国の人々やメディアが、我々には想像もつかないことである「軍国日本の復活」などということを言うのは、日本にその気配があると言うより、日本や日本人のアイデンティティが見えず、しかも、自らの意見をきちんと述べないからなのだと思う。少なくとも知的な人々は、意見や歴史観が違っていてもそれを認める見識をもっている。

例えば、「靖国神社」のことにしても、韓国の人々は太平洋戦争でのことを語る。しかしそれは、日本人にとって見れば、近代国家として明治政府がその建国に殉じた人々を祀る神社ではないのか。そして、八百万の神々の恵みに生かされてきた日本人にとって、近代的な国民国家を形成する中で大きな意味を持ち続けたこと。さらに、そうしたことが戦後の教育の中で伝えられてこなかったことこそが、単に戦争を美化するなどと言うことではなく、日本人のアイデンティティを危うくしているということ。もちろん、現代の日本人は、戦前の膨張的国家主義が誤りであったことを理解しており、戦後の世界歴史の中で平和に生きる知恵も持ちえている。しかし、そうしたことを日本人としてのアイデンティティを明確にしながら伝える努力をしないことが、誤解の原因になっているのだと思う。

偶然の、そして幸運なお伊勢様参りのチャンスを得て、僕はそんなことを(考えたのではなく)感じた。そして、こんなことを書くと我がスタッフはニヤニヤと笑うのであるが、彼らも今に判るはずだ。
Posted by 編集部 08:30

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