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編集長コラム

村を背負うな。今こそ村を捨てよう! | 農業経営者 2月号 | (2006/02/01)

【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
昨年10月27日に「経営所得安定対策等大綱」が定まり、経営所得安定対策の対象となる「担い手」の規模要件を、認定農業者は府県で4ha、北海道で10ha、集落営農で20haと決まった。

筆者はそこで示された経営サイズが、これからの時代の土地利用型農業として経営を成立させる規模としては、あまりにも小さいと感じた。農業経営の可能性は規模の大小だけで語るべきものではなく、むしろどのような販路開拓や営業戦略を持つかの方が肝心なことであると思う。
それ以上に、農協組織が自らの存続をかけて要求した集落営農という経営類型が、今さらながら語られる異常さ。農業界では本当にそれが通用すると信じられているのだろうか。ソビエト連邦や共産党の中国ですらコルホーズや人民公社が崩壊したのに、現代日本の市場社会の中でどうしてそれが成立すると言うのだろうか。

どのような事業であれ、経営が成立するのは、マーケット(顧客)ニーズに答える力があればこそである。ましてや、農村の高齢化や耕作放棄地増大の防止などという、集落機能の維持を目的として組織される事業体が、経営的に存続できると考える方が不思議だ。

そして、農業メディアを見ると、農協と行政による「担い手育成」、「担い手確保へ一丸」などという言葉が踊っている。いかに行政や農協の求める「担い手」がいないかである。さらに「集落営農 リーダー育成を支援/農水省が新規事業」(1月16日・日本農業新聞)という記事を見つけた。

その記事に「農水省の昨年6月の調査でも、集落営農づくりの課題のトップは『集落リーダーが不在』で58%を占める」とある。その対策として農水省が「2006年度の新規事業で緊急的に人材育成を支援する。JAや農業改良普及センターOBなどを登用し、豊かな経験を生かして集落の方針づくりから組織化・法人化までを後押ししてもらう。政府予算案に20億円を計上。全国5000地区を想定し、リーダーの活動費を助成する」とある。

余計なお世話であり、無駄な話である。この記事を筆者は、少なくとも集落営農のうち、58%は確実に破たんすると読んだ。現実にはこれから組織される集落営農のうち、8~9割は数年後に破たん、解散することになるのだろう。

本誌の読者の中には集落を単位に土地を集積して経営を成立させている人々も少なくない。それも集落営農というべきだろうが、少なくともその場合には自らの意思と見識、健康な欲望において農業経営者たる道を選んだ人々であり、自らのリスクで経営の創造に取り組んだ人々である。その中には、ほんの数年前までは農協組織の和を乱す者として鬼っ子扱いを受けていた人もいるのではないだろうか。

つい先程も、北陸の読者から農協からは65haも押し付けられて、しかも関係農家の中には「自分の土地を使わせてやって」というくらいのことを言い出しかねない輩もいると怒っておられた。

ここからが言いたいことである

「農業経営者よ村を背負うな」
「今こそ村を捨てよう」

大事なのは村ではない。貴方自身の経営なのである。農協や行政など農業関係者の居場所作りのために犠牲になるべきではない。それで良いのだ。
Posted by 編集部 08:30

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コメント

>どのような事業であれ、経営が成立するのは、マーケット(顧客)ニーズに答える力があればこそである。

短い周期での経営の成立であればそうかもしれません。
しかしその感覚の悪影響がどの業界でも出ているのではないでしょうか。
顧客のニーズが世の為になっているとは思えません。
簡単便利、そのシワ寄せが今のトレンドの環境や食育なのでしょうが・・
確かにビジネスチャンスでしょうが本質的には後手後手でしょう。

Posted by はじめまして  2006/02/20 17:10:50

>>どのような事業であれ、経営が成立するのは、マーケット(顧客)ニーズに答える力があればこそである。

どのような業態であっても需要に応じる・若しくは需要を喚起し、供給を行う事で運営されます。農業だって当然同じ事をしなくては成立ちません。それが無いから激しく衰退している訳ですが。

顧客ニーズが世の為になっているかどうかは別次元の話です。
顧客自身が環境等を配慮した良質な需要を生み出す事で改善出来る事でしょう。それを促す程度の事は我々にも出来るかもしれません。

>簡単便利、そのシワ寄せが今のトレンドの環境や食育なのでしょうが・・
確かにビジネスチャンスでしょうが本質的には後手後手でしょう。

単純にその時代に合った最も利益が上がるであろうと思われる
供給がなされてきただけで今でもそれは変わりがありません。
それが企業のあり方です。

簡単便利に潜むリスクとベネフィットをしっかり認識し
選択するように消費者がなるべきです。

何でもかんでも供給側に責任を転嫁して事たれりという時代ではもはや無いと思います。

Posted by りんご屋  2006/02/21 01:13:30

「お客様に試されて、お天道様に裁かれる覚悟あるいは勇気を持とう」
と、筆者は以前から申し上げているのですが、ナニをヘンな呪文を唱えているのとわらわれています。
お客様(市場)は神様などではありません。市場とは善悪が問われる場ではなく、売れる売れないということで事業が市場に試されているだけです。本当に裁くものがあるとすれば、それはお天道様(環境や歴史)です、という意味です。
また、我々は誰も、何物も傷付けることもなく善を成すなどということなどありえないことです。それができるなどと思う人がいるならば、それは単なる思い上がりに過ぎないと僕は思います。
そして、そろそろ農業をやる者も、「生産者⇔消費者」などという対立でものを考えることから卒業する必要があるのではないでしょうか。
むしろ、農家といえども作物を栽培するということ自体が「お天道様を消費する」ことに過ぎません。その意味で、農家も消費者と言われる人々も、総じて「お天道様の消費者」なのではありませんか。農家が特別エラソーな立場にいるわけでもなんでもありません。単なる商売人でよいのです。あるいはそうならなければいけないのだと僕は思います。
そんな時代の中で、農業という仕事をどう成立させていくか。
たとえば、「プロダクト・アウトではなくマーケット・インだ」なんて言いますが、それは供給者しか言う必要の無い言葉ですよね。
それは、供給者がいかに顧客(市場)に必要とされ、選ばれるに足る存在たろう願えばこそ、自らに向かって問う言葉ではないでしょうか。
農業を語る場でも、もうそろそろ、そういうあたりまえが通用する時代になるべきだとは思いませんか。

そうだとしても、それにチャレンジする。それが僕が思う経営者(=誇りある現代の職業人)だと思うのです。
一時、あだ花のように儲る人もいるかもしれません。でも、農業や農家を見てきて思うのですが、不作の時でもきちんとした作を取る土を作り続ける人、夏のために冬にこそ働ける者。
そうした篤農家たちが、土に見つめてきたものを、顧客(市場社会)に投影できること。それが現代の農業経営者に求められるものなのではないでしょうか。
そして、そういう努力をしても思い通りにならないこともある、というのが我々人間社会なのではないでしょうか。
これでは答えにならないでしょうか?

ところで、あとで掲示板でも書こうと思いますが、この「村を捨てよ」という舌足らずの原稿の本位は
「村を捨て、顧客に選ばれて村に果す、農業経営者の自負と夢」
ということです。

Posted by 昆吉則  2006/02/23 19:29:59

生産だけで一般的改革目途である所得500~700万の
恒久的保証はされません
なが~い歴史の中で農民は作るだけの階層にされてきたのす。
政策その他の机上作業に これからも翻弄され続けるでしょう。
今さら農協・農民に一部上場会社級の営利団体になれという方が、<死活せよ>と同じ。何十年もかけたリハビリが必要なのだよ。じゃあ どうするの・・・?
農協 実態的役割分割 営業、ブローカー、金融、商品製造、技術などの組合。   各々利益責任を絶対的に負うAco.
実際に現場で作ることには長けている農民は机上策(机上作)
を学びながら当面ひたすら良質産物を生み出す。
とある海外に性善説型移転・協力してる場合じゃない
それをする国を選別しなくては・・・・

Posted by masshah  2006/03/17 01:07:18

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