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編集長コラム

「農業集落」という幻想 | 農業経営者6月号 | (2007/06/01)

【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
北上の伊藤栄喜氏の集落営農事業推進に伴う農地貸しはがし事件は、問題解決のないまま次の段階に入っている。農地が集落営農側に戻された結果生じることになる、所有者の入り組んだ圃場(基盤整備の結果一つにまとまった「組田」)での作業道や畦をどうするか。その調整も進んでいないようだ。これまでであれば、農地を借り受けた経営者たちが、相談をして融通を付け合ってきたという。畑作と水稲になった場合の水の問題や農道を確保できないという問題も生じてくるのだ。
声の大きな地域リーダーに言われて始まるのが、集落営農組織であろう。集落の住民一人ひとりに訊ねてみれば、組織に参加する人もそうでない人も、その思いは様々であるはずだ。

「経営所得安定対策等大綱」(平成17年10月)策定の折に、一定の要件を備えた集落営農組織も担い手として直接支払いその他の対象として認めることになった。農協組織のごり押しによってそれが出てきたことも、よく知られていることだ。

集落営農だからいけないなどというつもりはない。担い手政策の対象になるために、その経営当事者の能力や経営展望もないままの集落営農の組織化を進めたり、その組織化によって、実績を持つ経営者が農地を失うようなことが生じることは、日本農業の発展にとって望ましいのか。農業の背景にある風土や文化を生かす農業経営の事業モデルはあり得ても、今という時代に、あえて「集落」を前提とした農業経営の推進を言う必要はあるのか。

そもそも、「農業集落」という概念自体、すでに現代の日本においては実体がなく、それは幻想というべきものなのではないのだろうか。

農水省がホームページで示している専門用語集によれば、「農業集落」とは「市町村の区域の一部において、農作業や農業用水の利用を中心に、家と家とが地縁的、血縁的に結び付いた社会生活の基礎的な地域単位」と説明される。その条件として「農業水利施設の維持管理や農機具等の利用、農産物の共同出荷等の農業生産面ばかりでなく、集落共同施設の利用、冠婚葬祭その他生活面にまで及ぶ密接な結び付きのもと、様々な慣習が形成されており、自治及び行政の単位としても機能している」ものだという。

今でも集落で水路整備共同作業が行なわれているケースも少なくはないだろう。氏神様、伝統的なお祭りや盆踊り、冠婚葬祭のしきたりを失いたくないという精神も当然だ。

でも、集落の中で人々が農業を生活の基盤にして肩を寄せ合って生きているという現実はない。少なくとも集落の住民にとってその経済的必然性はないのである。農業集落といわれる地域でも、農家(といわれる)世帯の暮らしや集落の習慣や集落機能すら、農業によってまかなわれているわけではないのだ。兼業というより、文字通りサラリーマンや自営業者としての収入が個々の世帯の暮らしや集落を支えているのである。車で一時間走ってその府県の代表的な町に辿りつけないという地域があるだろうか。日本はもう農業社会ではないのだ。

「農業集落」という幻想を声高に語って、日本の農業や集落を安楽死させてはならない。集落営農を叫ぶより、能力と誇りある農業経営者の存在こそ必要なのだ。農業経営者の事業的成功も含め、多様な意欲ある人々が存在することが無ければ集落は維持され得ないのである。
Posted by 編集部 08:30

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