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編集長コラム

「あたりまえ」だから選ばれる | 農業経営者 7月号 |  (1998/07/01)

【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
ついに、というべきだろう。

あの人気漫画「美味しんぼ」が野菜の硝酸態窒素の問題を取上げた「ビッグコミック・スピリッツ(6月1日/8日号掲載)」。その内容は、野菜生産の現状をおおむね正しく伝えており、有機・化学肥料の別なく過剰施肥が作物体内の硝酸態窒素含有量を増やしていることなどの解説も当を得ている。問題の取り上げ方も農業への「告発」というより、むしろ「旬」を無視した消費者の側に反省を促していることが、農業界にとってはせめてもの救いだというべきだろう。

しかし、消費者は被害者なのである。
反省を求められるべきは、農家自身であり、僕を含めた農業関連の商売人たちであり、食にかかわる全ての産業人なのである。そして、土壌の富栄養化(糖尿病化)をここまで看過してきた行政や農業技術の指導体制こそが問われるべきなのだ。

やがてTV、新聞、週刊誌の中には「硝酸態窒素で汚染された野菜!」という見出しを付けた「告発」報道を始めるものも出てくるだろう。八百屋や量販店の店先あるいは有機をうたうレストランのサラダバーの前で、野菜の硝酸態窒素濃度を計測しながら煽情的な言葉で人々の不安を煽りたてるレポーターも出てくるかもしれない。O-157騒動でのカイワレダイコンの二の舞とはいわないまでも、サラダ野菜の需要は影響を受けることになるだろうし、サラダを売り物にしたレストランの人気にも陰りが出るのではないか。批判はやむをえないとしても、せめて冷静に事実を見つめ解決の道筋を探ろうとするジャーナリストがいてくれることを願いたい。

しかし、こうした事態にもかかわらず、当の農家はもとより農業や青果物にかかわる業界にいる人々は何と鈍感なのだろうか。それどころか、どれだけの野菜生産者や関係者たちが、この野菜の硝酸汚染の問題を認識し、さらにその背景にある過剰施肥の現状やその結果である土壌の富栄養化問題を自らの経営の永続性にかかわる問題として捉えているのだろうか。

この間、農業、流通・小売業、外食、あるいは食品加工業などの「食」にかかわる少なからざる人々は、農産物やそれぞれの商売でのマーケティングのネタとして「有機」「オーガニック」「無農薬」さらには「減・減(=減農薬・減化学肥料)農産物」などという「言葉」を作り出してきた。でも、言葉で農業は語れても言葉で農業はできないのである。

過度な農薬への依存を含め、農業生産技術上の問題の多くは続けてきた「過剰施肥」の結果なのであり、肥料が化学合成肥料から有機質肥料に変ろうとも、過剰施肥が続く限り問題は少しも解決しないのだ。

有機農業で優れた農産物を生産する人がいることは承知している。しかし、有機無農薬野菜と名乗る危険な野菜が少なからず流通していることは本誌でも紹介している通りである。むしろ、「有機」の流行につられて、過度な有機質肥料の利用が土壌の富栄養化を加速させているケースも少なくないのだ。

顧客に対して毒のレベルの野菜を売って恥じない者は、顧客への罪を犯すだけでなく、自ら畑を糖尿病状態にし、さらに生産は不安定化しますます経費のかかる経営になっていくだろう。さらに、地下水を汚染し、やがて畑では作物が作れなくなるのだ。

同じく、消費者の不安を当て込んだ姑息な商売人たちの中には、無原則な有機農業を生産者に煽り、腐れ野菜をもっともらしい言葉を使って売っている者もいる。「表示」に嘘が無く、とにかく化学肥料と農薬が減れば「安全」「高品質」であるかのごとくに。そもそも「安全」でなければ「食べ物」などというべきではないだろう。彼らも消費者の認識の深まりによって顧客を失うだろう。

お天道様に裁かれるのである。

そして、これからは「有機」だ「高品質」などというまでもなく、「過剰」の悪循環の中に陥らぬ適正な循環のある技術と経営、本来の「あたりまえ」を実践できる者、顧客や土や未来への責務を自覚する農業経営者たちが注目を受ける時代が始まるのではないか。
Posted by 編集部 08:30

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