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編集長コラム

自ら借金する農水省の作男はもうやめよう | 農業経営者 2月号 |  (2003/02/01)

【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
今月号の特集タイトルは「コメを神棚からおろす時」である。その中で、「“米政策”より“米ビジネス”を語ろう」のテーマで市川稔氏と小塩幹雄氏という二人のコメ・ビジネスマンに“農業”、“農家”、“米流通”について語っていただいた。

その中で市川氏は「計画通りにいかない計画流通米」と「計画通りにいってる計画外流通米」と米流通改革の状況を言い当てている。そして、消費者の米購入先も「農家から直接購入」と「親兄弟からもらっている(縁故米)」の合計が全体の43%に及ぶほど現実が先行しているのに、今さら大綱を作ってこれからの米流通の方向性を定めようと考えること事態、時代錯誤ではないかと笑う。そして、これまで役人とその管理下に置かれた利権ビジネスであったればこそ、まともなビジネス感覚さえ持てば多様な可能性があることを、市川、小塩の両氏は異口同音に語っていた。
ところで、米あるいは農業に関する時代状況として注目すべきことは、今回の米政策大綱策定の過程において農政族といわれる政治家たちがさしたる抵抗も口出しもしなかったことだ。かつて「一粒たりとも輸入させない」などという空念仏を三回にもわたって全会一致の国会決議をし、農協を中核とする当時の農業界に理念なき迎合を繰返していた政党や政治家たちが、今ではほとんど“知らん顔”である。農業というより農協の論理あるいはその利権運動はその出入業者としての自民党農林族と呼ばれる政治家たちにすらそっぽを向かれてしまったのだ。

政治あるいは制度が農業の行方を決める時代は終わったのだ。同時に農業協同組合という20世紀的システムもすでに役割を終えたのだ。健全な職業倫理を持つ農業経営者や食の職業人の自助努力によって未来を創造する時代が始まっているのだ。昨年末の「米政策大綱」策定あるいはそれに先立つ「生産調整に関する研究会」の過程にあっても、農協界は必死になって米の生産流通に対する国家管理を求め続けた。それが彼らの居場所を確保することであり、また、それがなければ減反を含めた利権を我が身に引き留めておくための錦の御旗を失うことになることでもあるからだ。しかし、歴史の流れはもうこれ以上せき止めることはできない。

食糧庁のモニター調査が示している43%もの米が農家から消費者に直通しているという事実こそが、農業界で嫌われる“市場社会”や“市場原理”とは単に価格だけが市場での勝敗を決する条件でも、弱肉強食の世界でもないということをまさに証明しているではないか。その米販売を担っているのは、勤め先で仲間内に販売したり、自分が運転するタクシーの乗客にチャッカリと米を売りつけてしまうような目端の利く兼業農家を含む農家自身である。その“小さな商売”の総和が米流通の専門家たちの扱い量を凌駕しているのだ。

利権にあぐらをかき、規制があるから、あるいは独占的で、しかも制度的保護を得た者たち。だからこそ彼らは価格以外の顧客満足などということなど考えも及ばなかった、農協を含めた産地集荷業者も卸業者も小売業者がこの世界から退場せざるを得ない時代が来た。気の毒ではあるが、それは彼らの怠慢であり、死に至る安楽椅子に座り続けた末路なのである。

もちろん、現在の農家直売が現在の価格やサービスレベルで続いていくとは思えない。それは、旧体制の崩壊の混乱がもたらしているものでもあるからだ。

でも、その気になりさえすれば、規模の大小にかかわらず農業経営の可能性は多様にある。しかし、その前提として考えるべきことは、農業の経営者は農水省でも農協でもなく農業経営者自身であるという自負と自己責任を自覚することだ。政治に頼らず、集団に埋没することなく、個人として農業の経営主体意識を持ち、そろそろ自ら借金をする農水省の作男の身分を脱することなのだ。そして、真に地域を担おうと思うのなら、流行りや懐古趣味の建前でない論理を持つ本物の経営者としての役割を果たそうと思うべきだ。そのために、集落営農の論理や農業・農村という枠に縛られない“村”を超える自由な論理で経営や地域の未来を考えるべきなのだ。さらなるコストダウンに真剣に取組み、そして、消費業界とのネットワークの中で“食べる者”のためにある農業経営を考え、単なる稲作生産者ではなく本物の農業経営者への成長を目指すべきだということだ。
Posted by 編集部 08:30

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