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農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ

再建と躍進、すべては社員の力です。  | 農業経営者 9月号 | (2008/09/01)

【(有)大串農園 オーナー 大串謙二 (高知県宿毛市)】
経営者ルポ 文旦、小夏、河内晩柑などの生産・直販をしている(有)大串農園。今期は、収量約550t、売上約2億5000万円を見込んでいる。昨年までは11期連続の赤字で、廃業をも迫られる状況にあったが、同社の社員らが自ら業務改善を進め、起死回生を果たした。1996年の法人化以来の累積赤字も今期で一掃できそうだ。ここに至るまでに、大串謙二と妻・生美、そして大串農園が歩んできた道のりには、経営者のあるべき姿を問う幾重もの山坂があった。

不作がきっかけで開けた創業への道筋



大串謙二(50歳)は、18歳からの3年間を大阪で働き、21歳で故郷に戻った。当時の大串家の生産基盤は約1・2haのミカン山だけ。それでも食べるだけなら何とかなる時代だった。23歳で父から農業を受け継ぎ専業農家になった謙二だが、ミカンだけでは物足りず、オクラやスイカ、ブロッコリーなども作った。

そして25歳の時、一つ年下の生美と結婚する。金銭的に豊かとはいえない家庭で育った2人には、貧乏はしたくないという思いが共通していた。また、謙二の胸中には、いずれ会社を経営したいという夢もあった。

夫婦として初めて農業に取り組んだこの年、文旦は不作だった。農協に出荷したところで、市場で買い叩かれるのは目に見えている。そう考えた謙二と生美は、苦肉の選択をする。文旦を軽トラックに積み、宿毛市内を引き売りして回る事にしたのだ。品質の高い文旦とは言えないものの、お客さんは喜んでくれた。2人はそれが素直に嬉しかった。これが、現在、全国に約1万4000人の顧客を抱える大串農園の始まりである。 (以下つづく)
※記事全文は農業経営者09月号で
Posted by 編集部 | 12:30 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ

比内地鶏の歴史を創ってきた家族  | 農業経営者 8月号 | (2008/08/01)

【(有)秋田高原フード 代表取締役社長 佐藤信子(秋田県北秋田市)】
経営者ルポ 昨年秋、食肉加工業者による比内地鶏の偽装事件が告発され、メディア各紙を巻き込んだ騒動に発展したことは記憶に新しい。秋田県は急遽、ブランド認証制度の準備を進めたが、それがさらなる混乱を招くことになった。育種改良の努力で市場の7割の顧客を獲得し、安全責任への自覚から、時代に相応しい管理方法を選んだ生産者が、認証制度の名のもとに市場から排除されようとしている。

メディア批判をかわす県の対応が呼んだ災難



まだ産後20日目だというのに、大塚智子(31歳)は事務机の脇に赤子を寝かせて仕事をしていた。5歳と2歳の子供は、夫・大塚智哉(33歳)の栃木の実家に預けた。今、(有)秋田高原フードは創業以来の危機に瀕している。それでも、社長の佐藤信子(57歳)と智子、智哉の娘夫婦、そして14人の従業員たちは、この困難のなかで改めて家族の絆と会社の使命を確認している。

災難は、比内地鶏を偽装した犯罪とその批判をかわすために秋田県がとった対応の結果によってもたらされた。同社は昨年度まで年間8万羽あった生産が半減しかねない危機に陥っている。その食味の高さで評価してくれる外食業者はともかく、スーパーやデパートなど多くの小売業者は「認証」の有無を問題とし、取引を控えるようになり、それが取り扱いの減少につながっている。それでも信子ら家族は、智子の祖父である故・佐藤広一が始めた家業の誇りを守ろうとしている。(以下つづく)
※記事全文は農業経営者08月号で
Posted by 編集部 | 12:30 | この記事のURL | コメント(3) | トラックバック(0)
農業経営者取材 | スーパー読者の経営力が選ぶ あの商品この技術

宮崎県川南町(有)アグリパートナー宮崎の岩切久義氏が選んだ商品 | 農業経営者8月号 |  (2008/08/01)

スーパー読者

好奇心をバックに次々と事業展開を図る



戦後3大開拓地の1つに数えられる宮崎県川南町。ここで高校在学中から養蚕に取り組み、それに飽き足りることなく、次から次へと事業を企ててきた岩切久義氏。レールが敷かれた農家の長男ではない氏は、好奇心をバックに自ら道を切り拓いてきた。その氏に現在に至るまでの経緯を聞いた。
【経営データ】
■業務内容/加工用ジャガイモの生産、ブッシュチョッパーを使った竹やぶの伐採、コントラクターなど
■経営面積/約60ha(ほとんどが借地、42haで加工用ジャガイモの生産)
■労働構成/社員10名
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Posted by 編集部 | 12:29 | この記事のURL | コメント(244) | トラックバック(0)